日本のテレビ創成期は、まだ地上波テレビしかなく。当初はVHF帯で、民放総合局の免許は3局までしかなかった(地方は1局か2局)。教育局という条件付きで4局目以降の開局が許可された(関東は5局、関西は4局)。関東広域の日本教育テレビ(netテレビ、現:テレビ朝日)と東京12チャンネル(現:テレビ東京)がそれである。
しかし、教育局という特殊な環境では経営が成り立たなくなり、そのため前述のnetと12chは総合局へ移行した。
その後、UHF帯の新規割り当てが下り、東名阪地区でも県域テレビ局が続々開局し(uhf帯の中京テレビ(日テレ系)は広域局)、岐阜放送(ぎふチャン)やサンテレビジョン、近畿放送テレビ(現:京都放送(kbs京都))、テレビ埼玉など11局はいわゆる独立UHF局である。
事実上初の独立テレビ局だったテレビ東京が、東海近畿の県域UHF7局と部分的にネット関係にあり、特に京神の独立UHF局のサンテレビとkbs京都の2局と実質的なネット関係が強かったものの、自前の系列であるメガtonネットワーク(現:txnネットワーク)の系列1号の大阪府域のテレビ大阪を開局させるにあたり、前述の京神2局への番組供給に大幅な制限を行った。続いて、愛知県域のテレビ愛知も開局させている。
平成期になると、TXNのテレビ北海道とtvq九州放送、独立UHF局で東京都域の東京メトロポリタンテレビジョン(東京mxテレビ)と栃木県域のとちぎテレビが開局した。
このようなキー局側による無謀なテレビ局開局計画が、結果として放送格差を生み出してしまいましたね(アニメ業界にとって死活問題にもなっている)。
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